「コロナと政治の責任」×「冬期講習と完成予定図」×「塾講師の資質と一つの武器」
東京のコロナの人数がついに900人越え。
それも949人とかなり余裕で超えていきました。
本当に「勝負の3週間」とはなんだったのか。
完全に敗北としか言えないのだから、
こうなった責任をきちんと取るべきなのは、誰の目にも明らか。
ただ責任を「誰のせいか」考えてなすりつけ合うのではなく、
失敗を認めて「何とかしよう」とすればいいはず。
子どもにだってそういう風に話しているはずなのに肝心の自分たちはやらない。
そして子どもは言う。
「だって、国の偉い人たちもやってないじゃん」
正論すぎて言われた大人は「うるさい」と言って終わる。
これってどうなんだろう。
僕は少なくとも自分がやるべきことをやった上で語るべきだと思う。
そうでないとその人の言葉に重みも威厳も出ないし、
当然、相手には信用もされない。
だんだんと信頼を失い、言うことを聞かなくなる。
力で抑えこむなり大声で怒るなりして従わせる。
これでは絵に描いたような悪循環。
誰が見たって上手くいかないのは目に見えている。
だけど実際問題、
同じことが大人の社会でも起こっている。
「マスクをちゃんとしなさい」
そう言う風に言いつつ自分はマスクをしなかったり、
「きちんと話を聞きなさい」
そう言う風に言いつつ人の話をちゃんと聞かず自分の意見を通したり、
声の大きさに加え「権力」を盾に、
自分はやっていないとあれこれ言い訳して誤魔化す。
指摘すれば責任逃れ。本当に悲しくなる。
大人は子どもの見本になるべき。
直接関わっている学校の先生、塾の先生などは尚更だと思う。
ただ何より大事なのは、
「完成予定図」を見せてあげること。
漠然と手探りで進ませても子どもは伸びない。
砂漠の中でスコップを渡されて宝を探せと言われても無理な話だ。
「宝のありか」と書いた紙切れ1枚があれば、
それだけでモチベーションは上がるし、本気になって伸びる。
大事なのはこの「予定」の部分に、
どれだけそういう遊びや工夫できる余地を作ってあげられるかだと思う。
学校現場では難しいのなら、
受験という目標がはっきりしている塾だからこそ、
そう言う場所になることができる可能性はずっと高い。
いよいよ各塾で冬期講習が始まった。
生徒との信頼関係が結べているのなら、凄く伸びる可能性は十分ある。
もし自分が言っていることが伝わらないのなら、
それは授業ではない「普段の接し方」に原因があると思わないといけない。
自分自身が生徒から見て尊敬できる先生であれば、
生徒はちゃんとついてくる。
些細な行動も見られている。
蔑ろにしても良いのは一部のカリスマ先生だけ。
講習はある意味で、普段見ない授業を担当出来るチャンスでもあるから、
自分のことを改めて振り返る良いきっかけになり得る。
子どもに対して「頑張れ」というなら、
先生側も「頑張る」姿を見せないといけない。
「今」に満足している先生に習っていても、
考える子どもには育たないし、レベルも上がっていかない。
本当に子どもはよく見ている。
このことをきちんと意識して普段接しているかどうか。
点数が上がっていく先生の授業とそうじゃない先生の授業の差はここにある。
惹きつけ方はなんでも良いから自分だけの「武器」を持ちたい。
この前国語の文章を読んでいて、
「声色」がその一つの答えになり得ることを感じた。
高い声は友好的な思いを、低い声は敵意や不満な思いが、
それぞれ本能的に伝わるということである。
この「本能的」な部分については子どもであるほど敏感である。
いわゆる「直感」である。
あとは別の切り口になるけど、早口の人は頭の回転が早いらしい。
この2つを組み合わせれば、
話す内容に合わせてトーンとペースを変えることが大きな武器になり得る。
一度良いイメージがつけば、あとは自然と信頼される。
これは今の政治でもなんでも一緒だと思う。
現状に満足するのではなく、
「講習期間」だからこそ出来ることをしっかり考えたい。
願わくば考えられる子どもが育ち、未来に繋がればと思う。
僕も頑張ろう。
ありがとうございました。