「仕方ない」×「中学受験と成績のあげ方」×「ドラゴン桜」
今日の子どもとのやり取りの中の気になった場面。
「何でこの問題間違えたの?」
「問題を見間違っちゃって」
「ちゃんと解く時間とってるよね?」
「仕方ないじゃん」
とまぁ本当によくある光景だと思う。
だけどこの言葉を見逃している塾の先生はいないだろう。
いるのならそれはすぐに自分を見直した方がいい。
「仕方ない」ってどういうことなのか。
何が仕方ないんだろう。
時間がなかったから「仕方ない」のか、
問題を見間違うのは誰でもすることだから「仕方ない」のか
それとも自分自身ではどうしようもないから「仕方ない」のか。
どういう「仕方ない」なのかは皆目見当もつかないが、
わかることが唯一つ。
「仕方ない」で済ましてはいけないということだ。
もっと正確に言えば「仕方ない」事情なんてそもそもない。
この場合、ただの言い訳なのだ。
これを曖昧に許してしまうと、子どもの成長は止まる。
だって自分が使う「仕方ない」という言葉は、
自身に見切りをつけて諦めている言葉だからだ。
本気で取り組んでいるなら、
悔しがって泣く方がよっぽど正しい。
大事にしたいのは「間違え」から何を学ぶかであって、
もっと前向きな発想なのだ。
その中で自身の可能性を捨てることは愚行と言える。
本気でやると決めた人から「仕方ない」という言葉は出てこない。
子どもの意欲が高まっているかはこういうところから判断できる。
他にも子どもの様子を把握できる言葉はたくさんある。
保護者も塾の先生も細かい言葉にもっと敏感になるべきだと思う。
それが出来ているかどうか。
そういう話や提案をしてくれるか。
これも塾選びの大切な1つの要素にはなり得ると思う。
余談にはなるが「ドラゴン桜」の2005年版の方で、
桜木先生が一度だけ「しょうがない」といった場面がある。
それは水野さん(受験生)の母親が倒れ、東大進学クラスにいられなくなった時だ。
何とかならないか、と聞いた他の生徒に対し、
「しょうがねぇだろ」と。
物理的に無理なものは無理。出来ないものは出来ない。
これが「しょうがない」ということであり、冷静に受け入れないといけない。
こういうこともある。
だけどその後、水野さんは東大を受けることになる。
「しょうがなかった」のは東大進学クラスの在籍についてであり、
東大受験も、合格も、別の方法で目指せると言っていた。
山があれば100通りの道があると。
結局のところ、その後どうするかが考えることが大事。
壁に当たれば乗り越えれば良い。
そもそも本当に「しょうがない」内容は思っている以上に少ない。
簡単に言い訳をさせないように、
自分自身の可能性を狭めさせないように、
子どもの発言も姿勢も良い方向に変えていけるよう、
日々関わる中で、伏線をはり、仕込みをしていこうと思う。
いつか実ることを祈りつつ。
その収穫の時期を見間違えないようにしつつ。
明日もやれることをやり切ろう。
ありがとうございました。