「国語の成績」×「読書の有無」
今日も少し違った角度からのお話。
今まで「教材」について色々書いてきましたが、
自身がやってきた今までの勉強を振り返ったときに、
どうしても避けられない「教材」があります。
ただ大前提として、
「国語が出来るようにならないのは読書量が足りないからだ」
という誤解を解いておく必要があります。
本当によく保護者からも相談されますが、
読書量が多い=国語が出来る、ではありません。
だから6年生になって、国語が出来ないから本を読ませようというのは、
大枠で申しますと間違っています。
なぜでしょうか。
それは「読書」で求められている力と「読解」で求められている力が違うからです。
「読書」には作者の思いを見つけるという縛りは必要ありません。
読み方も人それぞれで自由に行間を想像し、
思いを張り巡らせ、好きに時間を使って楽しみながら読んで良いものです。
自分が応援する人物がいても良いし、感情移入も自由。
むしろ「深読み」という言葉が存在するように、
想像力を膨らませ没入して、深く読み込むことが大事にされます。
そこから出される課題があるとすれば、
「感想文」だったり、「続きの創造」だったりです。
さて一方で「読解」とはなんでしょう。
そうですね。
「読み解く」の言葉通り、
作者・筆者の言っていることを文中の根拠を基に読み取って、
答えとしてふさわしいものを選んでいくことが大事にされます。
そこに自身の思いや想像を入れた瞬間に不正解になります。
時間も限られています。
おまけに出てくるのは話の中のほんの一部分だけです。
「感想文」なんて聞かれていません。文中の言葉を拾えるかを聞いてます。
以上から分かる通り、
「読書」と「読解」は別物です。
国語の成績を上げたければ、国語の「読み方」を知りましょう。
目的に合わせた行動をしましょう、
だから「読書」が直接国語の成績とは関係ないと言えるわけです。
ただし、
「読書」をすることで様々な能力が育ちます。
一番最たるものが「言語能力」です。
使われる表現であったり、その意味であったり、使い方であったり、
「言葉」に対して敏感になれます。
これは大きなメリットです。
わかりやすく言えば「なんとなく話がつかめる」ようになります。
似たような話は多いので、
「こういう行動をしたらこういう気持ちが生まれて…」
と言ったような「ベタな展開」を予想することもできるようになります。
漢字も自然と読めるようになっていきます。
この辺りはとても大きいですね。
こう言った感覚は受験国語とは別に、日常生活でも役立つと思います。
あとは読むのが早くなるとかも地味なメリットかもしれませんね。
だから直結はしなくとも、
本を読んでおくことに損はないし、
読んでなかったとしても、
取り返しがつかない訳ではありません。
今からやればいいだけです。
個人的にはある程度本は読んでもいいのかなと思っています。
前提だけで長くなってしまったので、
僕の思う「教材」は次回書こうと思います。
ありがとうございました。