受験×勉強×塾

初めまして!学習塾の中で教育に携わる「現役塾講師」の一人として、受験関係の話を中心に、塾の先生としてのあり方や良い塾の選び方、また勉強の方法などを日々考えています。自分にとっての戒めにもして日々精進…!記事タイトルの「」は塾業界等、『』は塾のリアルについて書いています。

「宿題代行サービスの実態」×「宿題の持つ本当の価値」×「先生と子ども」

今日はちょっとした雑談。

先日Yahooニュースの中で気になるニュースがあった。

 

「宿題代行サービスに賛否両論⁉︎」

 

というもの。

ざっくりいうと夏休み定番のドリル、工作や絵日記、作文や読書感想文まで、

お金を払えば宿題をやってくれるというもの。

法律的には問題ないのかという質問もあったみたいだが、問題はなし。

相場はドリル1冊5000円〜とか作文や読書感想文は1枚3000円〜とか、

中には一問につき100円とかポスターだと15000円とか様々で、

急ぎの場合には別料金が発生することもあるらしい。

筆跡を真似てくれたり、

適度に間違えてくれたり、配慮も万全。

場合によっては塾やお稽古での宿題も引き受けているとのこと。

 

引き受けてくれる「先生」は、

難関大学・有名大学の学生から、音大や美大の専門性の高い大学生、

一般企業に勤める社会人、家庭教師や塾講師、中には現役の教師やプロ集団まで、

実に多彩であるといえます。

…いや冷静に考えて「現役の教師」はまずい気がするが。。

 

実際の利用者で多いのは、「多忙」な日々を送る子どもを持つ保護者。

具体的には受験勉強で塾に通っている子どもや部活や習い事で忙しい子どものことだと思う。

特に今の時期のように、

「塾の夏期講習」でいっぱいいっぱいになっている子どもにとっては、渡りに船と言える。

 

 

さて感想。

この宿題代行サービスがいいのかどうかは何とも言えないと思う。

結局のところ「宿題」の価値が分かっていないのが問題。

 

子ども側からすれば、

「宿題」をやることで自分自身の力を向上させることに繋がることも

やり方次第で効果が大きく高まることもちゃんと分かっていない。

「やらされる」意識でやっている限りは「宿題」の価値は分かっていない。

それなら別に代行に頼んでも別に一緒だと思う。

 

もう一歩進んだ話をするならば、

宿題代行に頼まないと出来ない「受験勉強」なら意味はない気もする。

一歩背伸びをしようと塾の勉強に傾倒すること自体は間違ってないけど、

計画を立てて、自分でやれるようになってこそ、

初めて「受験生」なのではないかなと思う。

 

 

一方で「宿題」を出している側からすれば、

子どもに対して出している「宿題」自体にきちんと意図を持たせられているのか、

まずはそこから考え直す必要がある。

例えば読書感想文を書くなら、どういう書き方をしたらいいとか、

どういう本を読んで欲しいとか、どういう力を育てたいとか、

そう言ったことをちゃんと踏まえて「宿題」としているのだろうか。

ただあらすじを写してきたものを認めてはいないだろうか。

漢字ドリルや計算ドリルをやらせる意味は?

工作やポスターから何を学ばせたいのか?

 

そして一歩進んだ話をするならば、

先生は出された「宿題」をきちんと見ていない気がする。

宿題代行サービスがあったにせよ、しっかり見ていれば違いには気付く。

その時に形だけやっているからとOKしているなら、

それはもう「宿題」の価値を先生側が失わせている。

コロナで消毒などさらに仕事が増え、

忙しすぎる先生の現状があるから仕方ないと言えばそこまでだが、

それでも、いやだからこそ「宿題」の価値を見直すことは必要だと思う。

 

 

結局のところ、

宿題代行サービスに対して批判をする前に、

やるべきことや考えることがたくさんあると思う。

 

ただ「宿題」は出す側がきちんとした意図を持って、

受け取る側が自分自身で「必要だからやる」ようになれば、

間違いなく力はつく。

それは断言できる。

 

願わくば宿題代行サービスがなくても良いようになって欲しい。

明日も頑張ろう。

ありがとうございました。