「塾の主役と脇役」×「先生の見分け方」×「成長と塾の変化」
塾にとっての「主役」とは?
結論から言えば、
答えは「通っている一人ひとりの生徒」
これは当たり前の話だと思う。
「生徒」があってこその塾だし、塾のために「先生」がいる。
サービスを享受するのは生徒であって保護者ではない。
つまりは主役の「生徒」のために準主役(あるいは脇役)の先生が、
主役を引きただせるために色んな手段を使う。
授業の仕方の工夫もそうだし、関わり方もそう。
クラス分けや塾のシステム的な面、その他にも多くの切り口が考えられ、塾の特徴となる。
そしてスポンサー(あるいは観客)である「保護者」に対して、
成績という結果で示していく。
プレゼンは面談という形で行うことができる。
大枠で言えば、塾ってこういうものだと思う。
だけど実際のところ。
主役が「生徒一人ひとり」である塾がどれだけあるだろうか?
それは突然の「閉校」や「異動」を見ればわかる。
営利企業としては当然かもしれないが、
結局のところ偉い人たちがやりたいようやっているだけで、
自分たちの「利益」のために、
自分たちの考えが正しいと証明するために、
「生徒」を使っている塾が多い。
だって「生徒」に教えている自分は「偉い」し「すごい」のだから。
いつの間にか主役は「先生たち」や「塾」になっている。
偉そうな態度。乱暴な言葉遣い。
「叱る」ではなくただ「怒る」「怒鳴る」
体験時や保護者の前では取り繕った態度。
自分の考えやマニュアルを押し付ける。一人ひとりを見ない。
先生の「お気に入り」の特定の子だけが大切にされる。
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少し乱暴に書き過ぎてしまったが、
本当にそんな先生は多い。
「自分にできること」だけやって、できないことはやらない。
何て言うかバランスが悪いのだと思う。
大事なのは「生徒」よりも「塾や自分の都合」が優先されているということ。
そして毎年それをやっているから疑問も持てない。
「去年このやり方でやったから大丈夫」
そう言って何も変えようとしない先生は多い。
「今年の生徒」と「去年の生徒」は違うし、
一人ひとりの個性だって違うのにだ。
これは間違っていると言わざるをえない。
その中でどうやって「生徒が主役」と言えるのだろうか。
見直すべき部分はここにあると思う。
つまりは「生徒一人ひとり」が主役であることについてよく考えると言うこと。
昔読んでいた漫画の中に「めだかボックス」と言うのがあって、
その漫画の中で球磨川禊と言ういつも負けているキャラが言ったセリフが頭をよぎる。
『嫌われ者でも!憎まれっ子でも!やられ役でも!
主役を張れるって証明したい!!』
ここでの話に適切かは分からないが、
言いたいことは一つ。
誰だって「主役になりたい」と言う思いは持っていると言うこと。
そしてその権利は誰にでもあると言うこと。
思いの差はあるし、無意識下の話かもしれないけど。
その思いを汲み取れるようになってこその塾。
何をすればいいのかと言われたときの僕の一つの答えは、
「頑張ったね」
「成長したね」
と心から言える機会をつくっていくということ。
もちろん生徒の心に刺さるような信頼関係なり状況なりを作った上でだ。
この一言で主役は「生徒」に変わるし、
この言葉を活かすために、
普段から「伏線」をはる必要があるから、色々な心遣いをしていくことになる。
「先生」が脇役となった時に、
「生徒」は受験生となり、
本当の勉強の仕方を身につけた人になり、
塾の持つ意味が劇的に変わると思う。
そうやってより良い塾が増えればいいなと思うし、
自分自身も良い意味での脇役になれればと思う。
明日も頑張ろう。
ありがとうございました。